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蘇州:寒山寺、留園、蘇州運河 2009年12月24日

 
古くから長江の南に位置する、江南の主要都市として栄えてきた。春秋時代に呉の都が置かれ、呉文化圏の中心であった。伝説によれば、諸樊がこの地を本拠と定め、諸樊の子孫の闔閭が呉の都として整備したと言われている。臥薪嘗胆、呉越同舟の舞台である。秦以後には会稽郡、後には同郡から分離した呉郡の役所が置かれた(同時に呉県の役所も設置された)。隋代に蘇州の名が始まったが、南朝最後の陳末の民衆反乱(589年)で町が破壊されて郡の役所なども他の町に移されており、本格的な再建は役所を蘇州に戻した唐の太宗時代以後のことになる。五代時期には呉越国の都となり、北宋の神宗時代に府(首都に准じる都市)への昇格に伴って平江府、元には平江路と呼ばれるようになった。この間、金の南宋遠征軍が平江府を攻撃して再度町は大規模な打撃を蒙った(1130年)が、南宋政府によって再建されている。元末の張士誠も呉王を称して蘇州に都した。明になると、蘇州府が置かれて以後は現在の蘇州という名称が固定化された。
 古くから中国の先進的な絹織物産地として経済的富裕な町であったが、南宋時代に付近で木綿栽培が広まると綿織物の分野でも屈指の生産を図るようになる。だが、アヘン戦争後の上海開港にともなってその経済的地位をいくらか低下させた。
 江蘇省の省都は現在南京に置かれているが、歴史的に清代には江蘇布政使が蘇州に駐在し、太平天国は蘇州を蘇福省の首府とした。南京に都した中国国民党時代には蘇州に江蘇都督行署を置き、日本軍占領期にも江蘇省会であった。



蘇州、寒山寺前の運河に架かる鼓橋(こきょう)

「蘇州(そしゅう)夜曲」

西條八十作詞・服部良一作曲

君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の唄
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか柳が すすり泣く

花をうかべて 流れる水の
明日のゆくえは 知らねども
こよい映(うつ)した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも

髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか
君が手折(たお)りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)





蘇州、寒山寺前の運河


(寒山寺)



寒山寺 境内




有名な“月落鳥啼・・・”のレプリカ歌碑




寒山寺 境内
屋根の上で琵琶を弾く羅漢様








(ここから留園

留園入り口の狛犬




留園内
屋根の下の赤いベンチは、しなだれかかるように座るので
“美人椅子”というそうです。



留園の見返り美人!!







(ここから蘇州運河遊覧船)
蘇州運河は正直言って、期待はずれでした。水は汚いし、建物もずいぶん汚れている。住民の洗濯物が干してあるし・・・など。

蘇州運河(遊覧船から)








鼓橋をくぐります


私は始めての蘇州なので、あの遊覧船に乗っていますが、
奥様は船着場でお出迎え。



虎丘の塔
ピサの斜塔のように、手前側にかなり傾斜していて、倒壊の恐れがあるそうです。


24日宿泊した無錫のホテルからの眺め
かなり老朽化した住居が並んでいます


龍眼(ロンガン)
ライチを小さくしたような果物、甘くて美味しいので私は好きですが、人によって好みが分かれるようです。


    


運河で洗濯する住民・・・
運河の水はかなり汚れていますが・・・