 |
 |
大阪の母が2019年8月13日で満100歳を迎えました。
大正8年生まれ
父は1970年に59歳で亡くなっていますから
それからすでに50年。
大きな病気もせずに、贅沢もせずに、よく頑張りました。
最近は訪問しても会話になりませんが
私が次男だということは、分かっているようです。
太平洋戦争と戦後の苦しい時期を経験し
家も決して豊かではありませんでしたが、
しかっりと3人兄弟を育ててくれました。
感謝感謝です。
クラシックギター仲間には手指や爪のかたちで
悩んでいる方が沢山いますが、
私の手指と爪のかたちはクラシックギターを弾くのに
都合よくできていると思ってました。
実は母親にそっくりでした。
この点も母に感謝ですね。
これからも、穏やかな余生であってほしいと思います。
|
大阪のついでに、機会あるごとに京都や奈良を歩いてきます。今回は大好きな奈良公園を歩いてきました。
奈良町の「徳融寺」には、40歳で亡くなった中学校の恩師の墓があり、50年ぶりにお参りしてきました。
奈良公園では毎回、猿沢の池⇒興福寺⇒東大寺⇒正倉院前⇒二月堂⇒春日大社⇒浮見堂⇒猿沢の池のルートを一回りします。
学生の頃から数えると10数回も来ていると思いますが、今回は東大寺あたりでほんの少しだけ道筋を変えたら、新しい発見がありました。
鹿せんべいが10枚で200円になってました。観光客は日本人より中国人の方が多いのには驚きでした。
|

JR奈良駅
|
JR奈良駅から三条通りを東へ歩き、
猿沢の池の少し手前で右に折れて「もちいどの通り」から
「下御門通り」を抜けて、しばらく行くと右側に
「徳融寺」があります。
私が中学校を卒業して、4年後に恩師が亡くなって、
同窓生数人で、奥さんとお参りに来たことがありました。
50年ぶりなのに、墓の場所はしっかり覚えていました。
美術の先生で水泳部の顧問でした。
ブランデーが大好きで、美術準備室にブランデー瓶が
隠してありました。アルコール依存症になって、
郊外の病院にアルコール隔離入院されたことがあり、
同窓生で見舞いにも行きました。
山の歌「いつかある日」が大好きで、
先生と同窓生でキャンプに行って歌いました。
金八先生のような、不良生徒も引き受ける先生でした。
モディリアニが好きで、よくチューリップの絵を画いてました。
しかし結局、肝臓を壊して40歳で亡くなりました。
大中昭雄(おおなかてるお)1968年1月24日没
享年40歳、戒名「円岳光照信士」
|

奈良町、格子戸がある家並
|
 奈良町の「徳融寺」
|
 猿沢池の七不思議
|
 奈良の写真の定番:猿沢の池から興福寺の五重の塔
|
 興福寺の南円堂
|

再建なった興福寺の中金堂
|
新しい発見がありました。
大仏殿西側に日本庭園「依水園」(ISUIEN)がありました。
「寧楽美術館」(NEIRAKU MUSEUM)と共通で900円。
なかなかきれいな庭園で、
池の向こうに大仏殿の屋根や若草山が見えます。 |

日本庭園「依水園」入口
|

日本庭園「依水園」茶室
|

池越しに大仏殿、若草山が見えます
|
 日本庭園「依水園」
|
 日本庭園「依水園」
|

日本庭園「依水園」
|

「依水園」に隣接する「寧楽美術館」
漢字の起源に関する資料の展示がありました
|

大仏殿西側から若草山方面
|

大仏殿裏の鹿の群れ
ここまで来ると観光客は殆どいません。
|

大仏殿裏から正倉院へ。ここから写真撮影だけOK。
|

大仏殿裏から二月堂への道
|

大仏殿裏から二月堂への道、
登り切って二月堂前に到着 |

二月堂舞台への階段
|

二月堂舞台から大仏殿、生駒山(大阪)方面を望む
拝観料は要りません。
|

二月堂に来ると毎回、茶店「龍美堂」で
休息するのが楽しみです。
今回は冬なので暖かい「ぜんざいと抹茶」
|

若草山の鹿、鹿せんべいを待ち構えています。
|

若い鹿、この時期は観光客が少なく
エサ不足だそうです。
|

若草山から春日大社への途中の「水谷茶屋」
ここもいつも立ち寄って昼食に「うどん」などを
食べるのが楽しみです。
|
 「水谷茶屋」
|

「水谷茶屋」、今回はきつねうどん
ここもお客は殆ど外国人
|

奈良公園の鹿
|

この時は鹿せんべいを持っていなかった、ゴメン。
|

ここでも鹿せんべいが一瞬で無くなりました。
|

「浮見堂」曇り空で暗くなってしまいましたが、
桜の時期や紅葉の時期は撮影スポットです。
|

酒商「のより」で奈良の地酒「春鹿」購入、甘口だった。
「春鹿」の濁り酒を買って帰り、正月に開封したら
ガスが噴き出してシャンペン状態に!!
親戚にも送ったので、同じ事件があちこちで発生。
ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。
|
 |