大阪の母、そして奈良公園
2019年12月19、20日
大阪の母が2019年8月13日で満100歳を迎えました。

大正8年生まれ
父は1970年に59歳で亡くなっていますから
それからすでに50年。
大きな病気もせずに、贅沢もせずに、よく頑張りました。
最近は訪問しても会話になりませんが
私が次男だということは、分かっているようです。

太平洋戦争と戦後の苦しい時期を経験し
家も決して豊かではありませんでしたが、
しかっりと3人兄弟を育ててくれました。
感謝感謝です。

クラシックギター仲間には手指や爪のかたちで
悩んでいる方が沢山いますが、
私の手指と爪のかたちはクラシックギターを弾くのに
都合よくできていると思ってました。
実は母親にそっくりでした。
この点も母に感謝ですね。

これからも、穏やかな余生であってほしいと思います。

大阪のついでに、機会あるごとに京都や奈良を歩いてきます。今回は大好きな奈良公園を歩いてきました。
奈良町の「徳融寺」には、40歳で亡くなった中学校の恩師の墓があり、50年ぶりにお参りしてきました。
奈良公園では毎回、猿沢の池⇒興福寺⇒東大寺⇒正倉院前⇒二月堂⇒春日大社⇒浮見堂⇒猿沢の池のルートを一回りします。
学生の頃から数えると10数回も来ていると思いますが、今回は東大寺あたりでほんの少しだけ道筋を変えたら、新しい発見がありました。
鹿せんべいが10枚で200円になってました。観光客は日本人より中国人の方が多いのには驚きでした。

JR奈良駅

JR奈良駅から三条通りを東へ歩き、
猿沢の池の少し手前で右に折れて「もちいどの通り」から
「下御門通り」を抜けて、しばらく行くと右側に
「徳融寺」があります。

私が中学校を卒業して、4年後に恩師が亡くなって、
同窓生数人で、奥さんとお参りに来たことがありました。
50年ぶりなのに、墓の場所はしっかり覚えていました。

美術の先生で水泳部の顧問でした。
ブランデーが大好きで、美術準備室にブランデー瓶が
隠してありました。アルコール依存症になって、
郊外の病院にアルコール隔離入院されたことがあり、
同窓生で見舞いにも行きました。

山の歌「いつかある日」が大好きで、
先生と同窓生でキャンプに行って歌いました。
金八先生のような、不良生徒も引き受ける先生でした。
モディリアニが好きで、よくチューリップの絵を画いてました。
しかし結局、肝臓を壊して40歳で亡くなりました。

大中昭雄(おおなかてるお)1968年1月24日没
享年40歳、戒名「円岳光照信士」


奈良町、格子戸がある家並

奈良町の「徳融寺」

猿沢池の七不思議

奈良の写真の定番:猿沢の池から興福寺の五重の塔

興福寺の南円堂

再建なった興福寺の中金堂
新しい発見がありました。
大仏殿西側に日本庭園「依水園」(ISUIEN)がありました。
「寧楽美術館」(NEIRAKU MUSEUM)と共通で900円。
なかなかきれいな庭園で、
池の向こうに大仏殿の屋根や若草山が見えます。

日本庭園「依水園」入口

日本庭園「依水園」茶室

池越しに大仏殿、若草山が見えます

日本庭園「依水園」

日本庭園「依水園」

日本庭園「依水園」

「依水園」に隣接する「寧楽美術館」
漢字の起源に関する資料の展示がありました

大仏殿西側から若草山方面

大仏殿裏の鹿の群れ
ここまで来ると観光客は殆どいません。

大仏殿裏から正倉院へ。ここから写真撮影だけOK。

大仏殿裏から二月堂への道

大仏殿裏から二月堂への道、
登り切って二月堂前に到着

二月堂舞台への階段

二月堂舞台から大仏殿、生駒山(大阪)方面を望む
拝観料は要りません。

二月堂に来ると毎回、茶店「龍美堂」で
休息するのが楽しみです。
今回は冬なので暖かい「ぜんざいと抹茶」

若草山の鹿、鹿せんべいを待ち構えています。

若い鹿、この時期は観光客が少なく
エサ不足だそうです。

若草山から春日大社への途中の「水谷茶屋」
ここもいつも立ち寄って昼食に「うどん」などを
食べるのが楽しみです。

「水谷茶屋」

「水谷茶屋」、今回はきつねうどん
ここもお客は殆ど外国人

奈良公園の鹿

この時は鹿せんべいを持っていなかった、ゴメン。

ここでも鹿せんべいが一瞬で無くなりました。

「浮見堂」曇り空で暗くなってしまいましたが、
桜の時期や紅葉の時期は撮影スポットです。

酒商「のより」で奈良の地酒「春鹿」購入、甘口だった。
「春鹿」の濁り酒を買って帰り、正月に開封したら
ガスが噴き出してシャンペン状態に!!
親戚にも送ったので、同じ事件があちこちで発生。
ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。