セブ島2019年12月2日〜6日

11月30日のギターサークル演奏会(優)及びショパンサロン歌の会(祥子)が終ったところで、今年唯一の海外旅行としてセブ島に行きました。
祥子さんはヨーロッパ希望でしたが、私(優)は寒いところは絶対いやだということで、セブ島になりました。はじめてのLCC飛行機5時間はやはりきつかった。

セブ島がフィリピンの小さな島だと思っていたのはとんでもない勘違いでした。セブ島は沖縄よりもはるかに大きな島で、
セブの町は歴史が古く世界一周途中のマゼランが1521年に上陸し、現地人との争いの中で殺されたところでした。
フィリピンではマニラに次いで2番目の大都市だそうです。リゾートホテルと空港は、すぐそばの小さな島(マクタン島)にあります。

【セブの歴史】(Web資料からの抜粋)
スペイン統治以前のセブは「スグブ(Sugbu)」または「スブ(Zubu)」と呼ばれ、中国、タイ、東インド諸島、アラビアの王国の商人が訪れる貿易港でした。
1521年4月7日、探検家フェルナディナンド・マジェランがセブに上陸。土地の支配者フマボン王は喜んでマジェランを迎え、ファナ女王とともにキリスト教に改宗。
その臣下400人もこれに従いました。マジェランはこれを記念し、十字架を建て、ファナ女王にサント・ニーニョ(幼きキリスト像)を贈りました。
その後、マジェランはマクタン島の首長ラプラプと戦い、亡くなりましたが、1565年4月28日にはレガスピとウルダネタがスペイン軍を率いて来島。
移民を開始し、フィリピン初の教会「バシリカ・ミレノ・デル・サント・ニーニョ」初の学校「サン・カルロス大学」と初の通り「コロン・ストリート」等を建設。
セブは以後6年間、フィリピンの首都でした。
1898年、米西戦争の後、アメリカの統治下にある間にインフラストラクチャーが整えられ、貿易の中心地として発展。
太平洋戦争中は日本の主要な基地となり、特にアントゥアンガとババグの丘ではアメリカの激しい爆撃にさらされました。
1946年、真の独立後はマニラと共に発展を続け、今日では世界有数のビーチリゾートとして多くの人々でにぎわっています。

ホテル「パシフィック セブ リゾート」のビーチ


やばい、向こうからスコールが・・・と思ったら、たちまちびしょ濡れに!!

ホテルのプールと水中バー



朝食は浜辺のテーブルで





お気に入りのプールサイドでコーヒータイム

4つあるプールのうちの一番小さい海辺のプールですが、ここが一番気持ちがいい場所でした。



ビーチのブランコで童心に帰る

セブシティツアー「サンペドロ要塞」

ガイドさんと

「サンペドロ要塞」中庭

マゼランとマゼランを倒した首長ラプラプ

パパイアの木の下で

サンペドロ要塞のネコちゃん

マゼラン



セブの歴史をまとめた記念碑

マゼランクロスの下で


セブの市場「カルボンマーケット」(昔、炭の市場だったのでこの名前)

ニワトリが生きたまま量り売りされている。新鮮でおいしいよ!!

まるで戦後の日本の町を見るような気持ち

スーパーマーケットの果物売り場。
マンゴー、パパイア、バナナ、ポメロ(大きなザボンのような柑橘)など
ドリアンは1個250円くらいか。

トラックを改造した乗合バスにすし詰めのお客さん

バイクを改造したトライシクル(サイドカー)に5〜6人も乗っている。
大渋滞、これが日常。
セブシティ夜景と夕食のオプションを予約したが、ホテルから渋滞の連続で夜景の展望台まで3時間もかかった。
すんなり走れば40分くらいと思うが、夕方の時間ということもあり全くひどい!! 夕方のセブシティはやめた方が良い。

ホテルの中は写真のように大変きれいだが、一歩敷地外へ出ると別世界。地元住民のバラック住居が密集している。
まるで終戦直後の日本のスラム街のようだ。道路は狭く、住民がダラダラと歩き、野犬が道路にゴロゴロ寝ていてヤギやニワトリも多い。

フィリピン料理の昼食、ちまきが美味しかった。

セブのショッピングセンターはクリスマスの飾りつけ